大判例

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東京高等裁判所 平成3年(ネ)3544号 判決 1992年10月28日

控訴人

横田建設株式会社

右代表者代表取締役

横田庄平

右訴訟代理人弁護士

木村一郎

横溝高至

被控訴人

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

小磯武男

外三名

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人に対し、金四六三一万一一九五円及びこれに対する昭和六二年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、第二審を通じてこれを五分し、その四を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金二億二五八一万九五〇〇円及びこれに対する昭和六二年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二事案の概要

本件事案の概要は、次のとおり補正し、付加するほかは、原判決の事実及び理由中の第二項(原判決一枚目裏一一行目から同六枚目表一〇行目まで)に記載のとおりであるから、これをここに引用する。なお、原判決は、控訴人の主張する登記官の過失及び違法行為の存在をいずれも認めず、控訴人の請求を棄却した。

一原判決二枚目裏九行目の「二月一五日、」の次に「本件登記所に赴いて本件土地の登記簿謄本の交付を受けて右記載を確認した上、」を、同三枚目表一行目の「雨宮孝行」の次に「(原審)」を、同二行目の「原告」の次に「と沼上」を、同九行目の「原告は、」の次に「その場で」をそれぞれ加え、同一一行目の「二、」を削り、同行から同裏一行目にかけての「乙一四」を「乙一〇」に改め、同裏一行目の「証人雨宮」の次に「(原審)」を加える。

二原判決三枚目裏六行目から七行目にかけての「移転登記も」の次に「不動産登記法四九条二号に該当するものとして」を加える。

三原判決四枚目表三行目から同八行目までの全文を次のとおり改める。

「本件不正記入は、登記簿の閲覧の機会を利用して、本件登記簿を含む登記簿冊自体を、あるいは、登記簿冊から本件登記簿の登記用紙を抜き取って本件登記所外に持ち出した上、本件登記簿の登記用紙に本件記載を記入し、その後再び登記簿の閲覧の機会を利用して、持ち出した登記簿冊自体を返還し、あるいは、本件登記簿の登記用紙を本件登記所備付けの登記簿冊に差し込んで返還するという方法によってなされたものである。担当登記官には、自ら又は補助職員をして、登記簿の閲覧の前後に、登記簿冊の存在、登記簿原本の抜取り、改ざんの有無を点検し、その点検に不十分なところが生ずるのであれば、閲覧者の動静に対する監視を一層厳重に行って、このような不正行為がなされることの防止に努める注意義務があったというべきである。その注意義務を全うするためには、効果的な監視の方法を検討し、閲覧席における閲覧者同士の間隔を十分にとり、あるいは、鞄や紙袋類の閲覧席への持込みを制限又は禁止するなどして、登記簿冊の持ち出しや登記用紙の抜取りの防止のために可能な限りの措置を採るのでなければ、閲覧監視に関する必要な注意義務を尽くしたとはいい難い。ところが、本件登記所における閲覧監視態勢は十分なものではなかった。このように本件登記所の担当登記官には、右閲覧監視の義務を怠った過失がある。」

四原判決四枚目裏二行目の「注意義務」の次に「があったにもかかわらず、本件記載のうちの『売買』と『新堀』の各文字の大きさが他の文字の大きさと異なり、また、売買の『売』と『買』の文字の間隔が離れているなど、一見して通常の登記事項の記載と異なっていることが明白であるにもかかわらず、これを見過ごしたものであり、登記簿謄本の作成交付をするについての右注意義務」を加える。

五原判決四枚目裏五行目の「活字等」を「活字及び当時本件登記所に在任していた登記官浅見友三名義の印章」に改め、同七行目から八行目にかけての「使用されていたから、」の次に「本件記載は、本件登記所の内部の者によって不正に記入された疑いが強い。もし、そうであるとすると、」を、同八行目の「登記官には、」の次に「登記官の印章や」を、同九行目の「注意義務」の次に「があるのにこれ」をそれぞれ加え、同一〇行目の「本件記載」から同一一行目の末尾までを削る。

六原判決六枚目表四行目の「土地調査料」の次に「(本件土地上にマンションを建築する目的でした同土地の測量等の調査費用)」を、同五行目の「弁護士費用」の前に「本訴提起及び遂行の」をそれぞれ加える。

七原判決六枚目表八行目から同一〇行目までの全文を次のとおり改める。

「被控訴人は、以下のとおり主張して、担当登記官の過失及び違法行為の存在並びに担当登記官の過失と控訴人の損害との因果関係を争うともに、予備的に控訴人にも過失があったとして過失相殺を主張し、控訴人の損害額を争う。

1  登記官の過失及び違法行為の有無について

(一) 閲覧監視義務違反に関する過失について

(1) 本件のように具体的な犯行態様が特定できない場合にあっては、担当登記官のどのような注意義務の懈怠が登記用紙(又は登記簿冊自体)の抜取り、改ざんに結びついたのかが不明であるから、そもそも担当登記官の過失を認めることはできない。

(2) 本件登記所における担当登記官の閲覧監視義務の程度を考えるには、不正行為が行われる頻度、不正行為防止の有効性の程度、その措置を実施することによる短所、実施のために必要な人的・物的手当ての内容、当時の登記所における事務の繁忙の程度、人的・物的状況、増員の現実的な可能性等を総合的に考慮し、社会通念に従って判断すべきである。

このような観点から、本件登記所における担当登記官の閲覧監視義務違反の有無について検討すると、閲覧の機会に不正行為が行われる頻度はゼロに等しいくらい低いものである一方、本件登記所は、当時超多忙庁であり、かつ大幅増員の現実的可能性のない登記所における人的・物的状況の中において最善の監視態勢をとっていたものであるから、閲覧監視の実質も確保されていたものというべきである。他方、本件不正記入は、同種の犯行を繰り返し行い、不動産登記実務についても相当高度な知識を有する犯行グループが用意周到に準備した巧妙な犯罪行為であったから、右行為は、右監視態勢のもとにおいて登記官が容易に発見、防止できるようなものでなかったことは明らかである。控訴人の主張する閲覧監視義務の内容は、担当登記官に不可能を強いるものであるか、又は、不正行為の防止措置としては絶対的効果を有するものではないというべきである。

したがって、担当登記官が本件不正記入を発見しこれを回避することは不可能であって、担当登記官の閲覧者に対する閲覧監視義務違反はないというべきである。

(二) 登記簿謄本の作成交付に関する過失について

登記官は、登記簿謄本の作成に当たっては、登記簿に記載されたところをそのまま遺漏なく、かつ誤りなく写し取れば足り、それ以上に、登記簿原本に偽造にかかる登記が存在しないことを確認した後でなければ謄本を作成してはならないことまでは義務づけられていない。また、本件不正記入は、極めて精巧になされており、担当登記官が謄本の作成交付をするに当たって、一見して容易に看破し得るようなものでは全くないばかりか、仮に不正記入等の有無の調査確認を意識的にしていたとしても、本件不正記入に気付くことは極めて困難であったから、本件の登記簿謄本の作成交付に過失はない。

(三) 登記済印等の保管・使用に関する過失について

本件登記簿の偽造に使用された登記簿等の印章及び担当登記官の印章等は、いずれも正規のそれと酷似してはいるが、全く別のものであるから、本件登記所の登記済印等が不正使用されたことはない。

(四) 登記申請受理に関する過失について

固定資産評価証明書は、不動産登記法四九条八号所定の登記申請に必要なものとして登記申請書に添付すべき書面に該当しないから、登記官は、登記申請そのものに対する審査の方法として、固定資産評価証明書上の名義人と登記簿上の名義人とが一致するか否か、あるいは、一致しない場合にその理由の如何を調査確認する義務はない。のみならず、登記簿上の所有名義人の異動があった場合に、固定資産課税台帳の記載が変更されるまで相当の期間を要していることが通常であるから、その間に新たな登記申請がなされた場合には、登記所に提出された固定資産評価証明書上の名義人が現登記名義人と一致せず、異動前の登記名義人のままであることが当然あり得るのであるから、本件登記申請において提出された固定資産評価証明書上の名義人が、たまたま登記義務者(現登記名義人)の沼上ではなく、前登記名義人の長島恭助(以下「長島」という。)であったとしても、そのことは担当登記官が本件登記申請に疑念を抱く契機となるものではない。

したがって、本件登記申請書受理について登記官に過失はない。

(五) 職権抹消登記の違法性について

本件登記所の登記官が本件登記簿の甲区三番の控訴人への所有権移転登記(以下「本件登記」という。)を職権で抹消したことは適法である。すなわち、不動産登記法一四九条一項は、職権で抹消すべき登記として同法四九条一号又は二号に該当する登記を掲げている。本件登記は、本件土地の甲区二番に所有者として記載された沼上なる者を登記義務者としてなされた所有権移転登記であるが、甲区二番の登記は不正記入につき昭和六二年三月一一日付をもって消除されたため、本件登記が無権利者を登記義務者としてなされた無効な登記であることは登記簿上も一見して明白となり、同法四九条二号の『事件カ登記スヘキモノニ非サルトキ』に該当すると認められたので、本件登記所の登記官は、同法一四九条一項に基づきこれを職権抹消したものである。そもそも、本件登記が実体的権利関係に符合しない無効の登記であることは明らかであり、本件登記は早晩抹消を免れないものであるから、これが控訴人主張の手続によらず職権抹消されたとしても、それによって控訴人の実体的権利や利益の侵害という結果を生ずることは考えられない。

2  因果関係の有無について

本件登記所において、控訴人の主張する監視態勢をとっていたとしても、必ずしも登記用紙(又は登記簿冊自体)の抜取り、改ざん等の不正行為を防止することはできないものであるから、担当登記官の閲覧監視義務違反と本件不正記入との間には、条件的因果関係すらない。また、控訴人の損害は、控訴人が自己の利益を追求するあまり、本件土地に関する調査を十分行わず、早急に本件取引行為を行った結果被ったものであり、まさに自己の招いた損害であるというべきである。そして、これを実質的にみれば、控訴人が被った損害は、犯行グループによる詐欺の犯罪行為によって生じたものというべきであって、担当登記官の閲覧監視義務違反と右損害との間には相当因果関係がないものというべきである。

3  過失相殺について

控訴人は、登記にいわゆる公信力の認められていない我が国の登記制度の下で、登記名義人が真実は無権利者であることも世上しばしばあり得ること(しかもそれは、登記官の過失が介在せずとも起こり得ること)に思いを致し、本件のような巨額の取引に当たっては、沼上なる人物が真実の権利者であるか否かにつき十分調査をすべきであったのであり、特に本件では、沼上なる素性の知れない人物が、なぜ高額な本件土地を前所有者たる長島から取得することができたのかについて疑問を抱き、徹底調査すべきであり、控訴人が宅地建物取引の専門業者であればなおさらというべきであるから、控訴人にも、取引の当事者としての注意義務を怠った重大な過失があるというべきである。したがって、仮に被控訴人が本件で損害賠償責任を負うとしても、控訴人の右過失を損害額の算定に当たっては考慮すべきである。

第三証拠関係<省略>

第四争点に対する判断

一当裁判所の本件不正行為の態様に関する事実の認定は、次のとおり補正し、付加するほかは、原判決の事実及び理由中の第三項の一(原判決六枚目裏一行目から同八枚目裏二行目まで)の理由説示のとおりであるから、これをここに引用する。

1  原判決六枚目裏二行目の「甲一、」の次に「二、一八の1、」を、同行の「乙一の1、2、」の次に「二の1、2、一八」を、同五行目の「先立ち、」の次に「昭和六二年一月下旬ころから二月一二日ころまでの間に、」を、同六行目の「登記所における」の次に「本件土地の不動産」をそれぞれ加え、同七行目の「外へ持ち出し」を削り、同八行目の「これを」の次に「本件登記所」を加え、同八行目から九行目にかけての「不実の記載をし」を削り、同九行目の「押印した後、」を「押印するなどして本件不正記入をし、後日、」に、同一〇行目の「右改ざんされた」を「右改ざんした」にそれぞれ改め、同一一行目の「ひそかに」の次に「本件登記所備付けの」を加える。

2  原判決七枚目表三行目の「甲一、」の次に「二、」を、同行から同四行目にかけての「乙一の1、2、」の次に「二の1、2、」を、同五行目の「活字」の次に「及び登記官浅見名義の印章」を、同六行目の「認められるところ、」の次に「夜間や休日など職員の不在の間に、何者かが本件登記所に侵入して本件登記簿を持ち出したとか、本件登記所の職員が本件不正記入に関与しているとかの事実を認めるに足りる証拠は全くないから、」を、同九行目の「活字」の次に「及び印章」をそれぞれ加え、同裏一一行目の「登記用紙の抜取り、改ざん」を「登記簿冊自体の、あるいは本件登記簿の抜取るという方法によって持ち出された登記用紙に改ざんを加えること」に改める。

3  原判決八枚目表一一行目の「(甲一一から同裏二行目末尾までを「るから(甲一の1、2、二、乙一の1、2、二の1、2、四、五、証人石田)、控訴人の右主張は容認することができず、他に、本件不正行為に、本件登記所の職員等関係者が関与していることを認めるに足りる証拠はない。」に改める。

二登記簿の閲覧監視義務違反を理由とする損害賠償請求について

1 登記事務は、国家が行う公証行為であり、右登記事務を担当する登記官は、国の公権力の行使に当たる公務員に該当する。そして、登記簿を閲覧させる事務は、右登記事務という公証事務に密接に関連する国の事務である上、不動産登記制度が、国が登記簿により不動産に関する権利関係を公示して国民の閲覧に供し、もって不動産取引の安全の確保と円滑に資することを目的とするものであり、しかも、不動産登記簿は、右不動産登記制度の基本となる重要な公簿であることを考慮すると、登記簿を保管及び管理する登記官は、登記簿を閲覧させるにあたっては、閲覧者が登記簿冊自体あるいは登記簿冊から登記簿の登記用紙を抜き取って登記所外に持ち出したり、若しくは閲覧の場において、登記用紙に改ざんを加える等の不正行為をしないように厳重に監視すべき注意義務を負っているといわなければならない。したがって、登記官がこの義務を怠った結果第三者に損害を与えた場合には、国は、国家賠償法一条に基づく責任を免れないというべきである。

2  そこで、本件登記所における登記簿の閲覧の監視態勢について検討すると、証拠(<書証番号略>、証人石田、原審及び当審証人雨宮)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 本件不正行為の行われた当時の本件登記所の登記簿の閲覧席は、二人掛けの事務机四脚を一列として、二列に並べる形で設置されており、閲覧者はいずれも入口の方を向いて着席し、最大一六名が着席できる状態であった。閲覧者が一般人か司法書士か、閲覧の目的物が公図か登記簿かなどによる席の区別はなされてはいなかった。また、右当時の本件登記所の登記簿の閲覧申請件数は、一日当たり約八〇〇件に達し、閲覧時間帯の閲覧席は、ほぼ常時満席の状態にあった。なお、本件不正行為の発覚後、閲覧席の数は一二席に減らされ、かつ、事務机は一脚ずつ間隔を開けて配置されている。

(二) 本件登記所には、昭和六一年当時、支局長以下、登記官三名を含む二〇名の職員(臨時の賃金職員三名を含む。他に、民事法務協会の職員がいる。)が配置されていたが、その取扱事務の繁忙のため、閲覧の監視に専従する職員は配置されておらず、民事法務協会の職員を除く他の職員全員が、本来の職務の傍らに随時閲覧の監視に当たることとなっていた。しかし、その具体的な監視方法に関しては、職員相互間において時間的や場所的な分担に関する話合いや取決めは特別なされてはいなかった。

(三) 閲覧場所に対しては、これを三方から取り囲む形で登記官や本件登記所職員の執務机が配置されていたが、入口側に配置された事務机で執務する職員三名(認証係、登記受付係及び法人係長)の席は、閲覧席を背にして入口側に向かう恰好で配置されていたため、閲覧席の方に向かう形で配置されていたのは、登記官二名(表示及び権利の各登記官)とその対面側の席の窓口整理要員二名であり、かつ、これらの者が右認証係員ともども閲覧監視にあたることが事実上要請されていた。しかし、窓口整理要員二名は、いずれも閲覧や謄写の申請があった関係公簿の簿冊を書庫から運び出して、閲覧席に置いたり、謄写の事務にあたる係員に渡すなどの職務に従事しており、本件不正行為の行われた当時、前記のとおり一日当たりの閲覧申請件数が八〇〇件ほどあり、また、謄本の申請件数も一日当たり七〇〇件ほどあったため、二名のうちの一名が必ず在席するなどして閲覧席の監視をすることができる状態ではなく、また、登記官は、二名とも主として自己の固有の仕事に従事していた。

(四) 閲覧席の斜め前方の上部には、電動式の監視用回転ミラー一個が設置され、右登記官の横側に入口側に向かう席にいる統括登記官も左横から閲覧席全体が監視できるようになっていたが、右回転ミラーを通しての監視についても、担当者等の監視の分担方法が特に決められていなかったため、充分な監視はなされておらず、その存在によって閲覧者の不正行為を心理的に抑制する効果を収めていたにすぎなかった。なお、本件不正行為の発覚後、新たに閲覧監視用のテレビカメラが四箇所に設置された。

(五) 登記簿冊(バインダー形式)や登記簿冊から抜き取った登記簿の登記用紙の持ち出しなどに使用されるおそれのある鞄、紙袋及び書類などを閲覧席に持ち込むことを制限するため、鍵付の無料のロッカーを大小合わせて一四個設置し、筆記用具以外の荷物(鞄等)は右ロッカーに入れるようにとの注意書きを記載したプラスチック製の掲示板を窓口及び閲覧席の机に設置し、その励行を促していたが、右制限に違反した行為に対する職員の積極的な注意や指導はなされておらず、登記用紙を入れたり、差し挟んで隠すことができるような鞄や書類等を自由に閲覧席に持ち込むことが可能であった。また、同時に借り出した数冊の簿冊を手元が見えなくなるような恰好で閲覧席の上に立てたり、閲覧者の手元の監視が支障となるほど公図を机一杯に広げたりして閲覧している者も多数存在した。

(六) 閲覧が終了した後の登記簿冊は、閲覧者が自ら閲覧席近くにある返納台に置いて返却するだけで、登記官又は職員がこれを直接受け取ることはなく、かつ、返却時においても、その後においても、返却された登記簿冊内の登記簿の登記用紙の枚数を確認することは行われていなかった。

3  ところで、登記簿は永久に保存することを要するものであり(不動産登記法二〇条一項)、事変を避けるためにする場合を除いてはこれを登記所外に持ち出すことも禁じられている(同法二二条一項)極めて重要な公簿である。不動産登記法施行細則(法務省令)九条は、右各規定を受けて、登記官は、その職務を遂行するにあたり、「登記用紙ノ脱落ノ防止其他登記簿ノ保管ニ付き常時注意スベシ」と登記官の一般的な注意義務を規定し、また、登記簿を閲覧させるに当たっては、「登記簿若クハ其附属書類又ハ地図若クハ建物所在図ノ閲覧ハ登記官ノ面前ニ於テ之ヲ為サシムヘシ」(同細則三七条)として、その具体的方法を規定し、更に、「登記簿若しくはその附属書類又は地図若しくは建物所在図を閲覧させる場合には、次の各号に留意しなければならない。一 登記用紙又は図面の枚数を確認する等その抜取、脱落の防止に努めること。二 登記用紙又は図面の汚損、記入及び改ざんの防止に厳重に注意すること。」(不動産登記事務取扱手続準則(昭和五二年九月三日民三第四四七三号民事局長通達)二一二条)と、登記官においてとるべき行為を明確かつ具体的に規定している。

そして、担当登記官に閲覧監視について右の法規、準則に定める職務上の義務に違反する過誤が認められ、右過誤の存在する時期に登記用紙に対する不正記入や改ざんが行われた場合には、特段の事情のない限り、登記官もしくはこれを補助する登記所職員等に閲覧監視義務違反の過失があるものと推定すべきであり、被控訴人は、これによって生じた損害につき、国家賠償法一条により損害賠償責任を負うというべきである(本件のように不正行為の具体的態様が特定できない場合にあっては、担当登記官のどのような注意義務の懈怠が登記用紙の抜取り、改ざんに結びついたのかが不明であるから、そもそも登記官の過失を認めることができないとの被控訴人の主張は容認できない。)。

4 これを本件についてみるに、本件においては、不正行為の実行者、時期、具体的方法及び態様が明らかになっていないとはいえ、本件不正行為が閲覧の機会を利用して前示のとおりの方法によってなされたものと推認されるものであることは前認定のとおりである。そして、前記2認定の事実によれば、本件登記所においては、登記簿の閲覧につき専従の監視員をおいていなかったばかりか、職員全員が職務の傍らに監視をするとしながら、これに必要な監視の方法に関する職員相互間における時間的及び場所的な分担等を定めていなかったものであり、その結果、責任があいまいとなって監視が十分にはなされておらず、閲覧席に鞄や書類等を自由に持ち込むことを制限しながら、その励行を促したり、右制限違反者に対する注意、指導もなされず、閲覧監視の支障となる挙動、行為が放任されていたことが認められる。更に、登記簿の閲覧の終了後において登記簿冊内の登記用紙の枚数の確認をせず、登記簿の点検をしていなかったものであることが認められる。そうすると、本件登記所の担当登記官には、閲覧監視についての前記の不動産登記事務取扱手続準則二一二条一、二号に定める職務上の義務に違反する過誤が認められ、このような閲覧監視の不備の過誤が、犯人をして本件不正行為を容易ならしめたものと認められるから、本件登記所の担当登記官もしくはその補助職員等には、登記簿の閲覧監視義務違反の過失があったものと推定せざるを得ない。

5 被控訴人は、「閲覧の機会に不正行為が行われる頻度はゼロに等しいくらい低いものである一方、本件登記所は、超多忙庁であり、かつ大幅増員の現実的可能性のない登記所における人的・物的状況の中において最善の監視態勢をとっていたものであるから、閲覧監視の実質も確保されていたものというべきである。他方、本件不正行為は、同種の犯行を繰り返し行い、不動産登記実務についても相当高度な知識を有する犯行グループが用意周到に準備した巧妙な犯罪行為であったから、右行為は、右監視態勢のもとにおいて登記官が容易に発見、防止できるようなものでなかったことは明らかである。」として、本件登記所の担当登記官が本件不正行為を発見しこれを回避することは不可能であった旨主張する。

なるほど、証拠(<書証番号略>、証人石田)及び弁論の全趣旨によれば、本件登記所の昭和六一年度の受理事件数は、甲号事件(不動産登記等の登記申請事件)が三万三九三八件、乙号事件(登記簿の謄本及び抄本の交付申請並びに閲覧申請、印鑑証明等事件)が一五八万二四四一件(うち謄本申請が三二万五八五〇件、抄本申請が七八七四件、閲覧申請が一二二万二七七〇件、証明申請が二万五九四七件)であり、昭和五三年当時と比べて乙号事件のうち登記簿の閲覧申請事件は約五倍に、登記簿謄本交付申請事件は約1.5倍になっているが、一方、昭和六一年当時の本件登記所の職員の人員は、昭和六〇年に臨時職員三名が新たに配置された以外は昭和五三年度から増加されていなかった(但し、右職員以外に民事法務協会職員がおり、謄抄本の作成に従事している。)ことが認められる。

しかしながら、そもそも、不動産登記制度が不動産取引の安全と円滑を図るため、不動産の物理的状況とその権利関係を登記簿という帳簿に記載し、これを閲覧及び謄写を通じて一般に公示する国家的制度であり、登記簿の記載に公信力はないけれども、その記載が実際に果たしている役割の重大性に照らして考慮すると、登記簿の保管及び管理は他の登記事務に比して劣らない極めて重要な事務というべきであって、他の事務が繁忙であるからといって決しておろそかにしてはならないものである。したがって、その保管及び管理は厳重になされるべきであり、登記閲覧に絡んでたまに行われる不正行為の監視・抑制に要するコストと、防止し得なかった不正行為から発生する損害賠償責任等のリスクとの比較、選択について、法務省側の行政的判断に裁量の幅はあるにしても、担当職員や予算の不足等の人的・物的な理由をもって、安易に不可抗力事由として、その過失責任を否定する根拠となし得るものではないというべきである。のみならず、証拠(<書証番号略>、証人石田)によれば、本件と同様な登記用紙の抜取り・改ざん事件が本件以前においても相当件数発生し、その事実が登記官の会同、法務局内部の広報誌及び公刊判例集等で紹介・報告されるとともに、このような不正行為に対して、閲覧監視体制の強化を図り、この種事故の再発防止のために特段の配意をするようにとの内容の通達もなされていたことが認められるから、本件のような事態は当然に予想することができるものであった上、専従の監視要員を置くことができない場合でも、職員相互間において時間的や場所的分担を定め、職員のうちの必ず一人は閲覧者を監視しているような態勢をとり、また、閲覧席の数にほぼ見合う無料の鍵付ロッカーが設置されていたのであるから、登記用紙の持出しを容易にさせる鞄や書類等の閲覧席への持ち込みを厳禁するとともにその励行を徹底することはもとより、一般の閲覧者と司法書士の席を区別した上で一般の閲覧者の監視を強化したり、閲覧者と閲覧者との間隔を開けたり、あるいはまた、公図の閲覧席と登記簿の閲覧席を区別したりするなどの不正行為の発見を容易ならしめる工夫をしたり、閲覧監視用の回転ミラーの増設や監視用テレビカメラの設置による監視を実施し、閲覧終了後の簿冊を職員のもとに直接返還させるなどして心理的抑制措置をとるなどの方法により、専従監視員を置けないことによる監視態勢の不備を補うことができたはずである(現に、本件登記所において、本件不正行為の発覚後にこのような配慮のいくつかが実施されていることは前認定のとおりである。)。それにもかかわらず、本件不正行為がなされた当時、本件登記所においてはこのような方策が講じられていなかったことは、前認定のとおりであるから、事件の繁忙及びこれに対応する職員数の不足という事実や、本件犯行が極めて計画的に行われたことなどを考慮しても、本件登記所において最善の監視態勢がとられていたとはいうことができず(因みに、本件のような犯行は、閲覧監視態勢が特に不十分な登記所を狙って敢行されることが多いことは顕著な事実であるが、証拠〔<書証番号略>〕によれば、本件犯行に相前後して、本件登記所を舞台にした同様な登記簿改ざん事件が発生していることが認められ、このことからも、本件登記所の閲覧監視態勢が他の登記所に比べても十分でなかったことが推認されるものというべきである。)、担当登記官において必要な注意義務を尽くしたものとは認められないから、本件不正行為が不可抗力であったとか、担当登記官に閲覧監視上の過失の推定を覆すべき特別の事情があったものということはできない。

したがって、被控訴人の前記主張は採用することができない。

三なお、控訴人は、本件において、被控訴人には、登記簿謄本の作成交付について、登記済印等の保管・使用について及び登記申請受理についてそれぞれ過失があり、また、職権で本件記載の抹消登記をしたことについて違法性があると主張しているが、右主張にかかる過失や違法性が認められないことは、次のとおり補正するほかは、原判決の事実及び理由中の第三項の三ないし六(原判決二六枚目表二行目から同三〇枚目表七行目まで)の理由説示のとおりであるから、これをここに引用する。

1  原判決二六枚目表八行目の「二の1、2、」の次に「四、」を加え、同行から同九行目にかけての「登記済権利証の」を「登記済権利証に押捺されている」に改める。

2  原判決二六枚目裏一一行目の「ことであり」を「ことであるが」に改め、同行の「細則」から同二七枚目表七行目の「そして、」までを削り、同九行目の「一見して看破しうる」を「登記官が職務上通常要求される注意力をもってすれば、これを発見することができる」に改め、同一一行目の「不実の」から同裏一行目の「すれば、」までを削る。

3  原判決二七枚目裏九行目の「酷似している。」を「酷似しており、」に改め、これに続けて「現に、本訴において、控訴人自身右各印影が真正であると主張しているほどのものである。」を加え、同一一行目の「一見して」を削る。

4  原判決二八枚目表七行目の「右書類等に」から同一一行目の「ところ、」までを「右添付書類の形式的真否を、押捺された印影や記載自体から又は真正な印影や記載との相互対照等によって判定し、これによって判定することができる不真正な書類に基づく申請を却下すべき注意義務がある。しかし、この点検は、原則として対照すべき印影や記載を肉眼により近接照合して同一性を判別すれば足りるものであるところ、」に、同裏三行目の「肉眼で」から「認められる」までを「肉眼による近接照合をおこなっても、容易には不実の印影であることが発見できないようなものであったことが認められ」にそれぞれ改め、同六行目の「五庁)」の次に「、本訴において、控訴人自身が右各印影を真正であると主張しているほどのものであることは、前認定のとおりである」を加える。

5  原判決二九枚目表九行目の「異動しない扱い」を「は異動の取扱いをしない事務扱い」にそれぞれ改める。

6  原判決二九枚目裏一〇行目の「沼上平治の」を「長島恭助から沼上平治への」に改め、同一一行目の「甲区三番の」の次に「右沼上平治から」を加える。

四被控訴人の過失と本件損害の因果関係について

1  被控訴人は、本件登記所において、控訴人の主張する監視態勢をとっていたとしても、必ずしも登記用紙の抜取り、改ざん等の不正行為を防止することはできないものであるから、担当登記官の閲覧監視義務違反と本件不正行為との間には、条件的因果関係がないと主張するが、本件登記所の監視態勢の不十分さが本件不正行為を可能にしたものであり、その結果控訴人が本件被害にあったことの原因のひとつとなっていることは明らかであるから、被控訴人の右主張は容認できない。

2  また、被控訴人は、控訴人の損害は、控訴人が自己の利益を追求する余り、本件土地に関する調査を十分行わず、早急に本件取引行為を行った結果被ったものであり、まさに自己の招いた損害であって、担当登記官の閲覧監視義務違反との間には相当因果関係がないと主張するが、登記官の前記閲覧監視義務違反の結果本件記載がなされ、これに基づき本件記載のある本件登記簿謄本が発行されて犯行の手段に供され、控訴人において本件登記簿に本件記載があることから沼上が本件土地の所有者であると誤信し、同人と本件売買契約を締結して代金の支払い等をするに至ったものである。そして、右事実に、不動産登記には公信力はないが、不動産取引においては登記簿の記載を一応真正なものと信ずるのが通常である(登記に推定力があることは判例及び学説の認めるところである。そして、その実質的な理由が、登記が不動産物権変動の公示方法であり、しかもその真正を保障するために定められた法律、法務省令及び通達等による厳格な手続によってなされるものであること、並びに登記簿の保存(保管)及び管理についても右法律等によって厳格に定められていることにあることは明らかである。)ことをも考え合わせれば、控訴人の右代金額等の損害は、本件記載の登記がなかったならば当然生じなかったものというべきであり、登記官の前記閲覧監視義務違反の過失も控訴人の損害発生に寄与していること、すなわち、右過失と右損害の間には相当因果関係があると解するのが相当である(不動産登記に公信力があるかどうかは、具体的取引の場において、登記の記載を信じて取引関係に入った者が保護される(すなわち動的安全の保護)が、真の所有者が保護される(すなわち静的安全の保護)かの問題を生ずるにすぎないのであって、不動産登記の公信力の有無が、本件登記所の登記官の過失の有無や相当因果関係の存否に消長をきたすものではない。)。

ところで、控訴人の本件損害が主として犯行グループによる詐欺の犯罪行為によって生じたことは事実であり、詐欺の犯罪行為と本件損害との間に相当因果関係が存することはいうまでもない。したがって、被控訴人は登記官の過失によって損害を与えたものとして国家賠償責任を負うことになり、犯行グループは故意による犯罪行為によって損害を与えたものとして不法行為責任を負うことになるが、共同不法行為が成立する場合であっても、衡平の観点から見て、被害者に生じた損害の額につき、一方の不法行為者の過失が寄与した分と他方の不法行為者の故意による犯罪行為が寄与した分とを割合的に認定、評価した上、各不法行為者の損害賠償責任をその割合に従って軽減して認定するのが相当である。

本件の場合、担当登記官の閲覧監視義務違反の具体的内容及び犯行グループの詐欺による犯罪行為の態様は先に認定したとおりであり、登記官の過失と犯行グループの犯罪行為との間にはもとより何らの意思の連絡もなく、時間的、場所的には隔たりがあり、しかも行為の類型は全く異なるものである。犯行グループは、詐欺による犯罪行為を行う前提として、欺罔行為に使用する本件記載のなされた登記簿を作出するために、本件不正記入をしたものと認められるので、ある意味においては、被控訴人(登記官)もいわば被害者という立場にある。そして、本件にあらわれた全ての事情を考慮すると、本件における被控訴人(登記官)の本件損害に対する寄与率は、本件損害の三割と評定するのが相当である(本件損害は犯行グループの詐欺による犯罪行為によって生じたものであるから、登記官の過失と本件損害との間には相当因果関係がない旨の被控訴人の前記主張には、登記官の過失の寄与率がゼロであるという主張を含むものと解されるから、裁判所がこの判断をすることが許されることは、いうまでもない。)。

なお、後記認定のとおり、控訴人において本件土地に関する調査を十分に行わず、早急に本件取引行為を行った過失があり、このことが本件土地の所有者についての控訴人の誤信を招き、本件被害を受けるに至った原因となっているとしても、このような事情は、損害賠償額を定めるに当たっての過失相殺の対象として考慮すべきものである。

よって、被控訴人の右主張も理由がない。

五控訴人の損害について

1  売買代金、所有権移転登記手続費用 合計二億〇〇〇二万九五〇〇円

証拠(<書証番号略>、原審証人雨宮、控訴人代表者)によれば、控訴人は、本件記載により本件土地が沼上の所有であると誤信した上、その所有権を取得するため、昭和六二年二月一八日、本件の売買代金として沼上に二億円を、本件土地の所有権移転登記の手数料等として荻野司法書士に二万九五〇〇円をそれぞれ支払ったこと、しかし真実は沼上が本件土地の所有権者でなかったため、控訴人は本件土地の所有権を取得できなかったことが認められる。しかも、沼上は行方不明であるため、同人から右代金額を損害賠償等として回収することは事実上不可能であり、また、控訴人への本件所有権移転登記が無効として抹消されても、現実にその登記申請手続の代行事務が行われた以上、右荻野に対してはその手数料の返還を請求することができない。したがって、右支払金合計二億〇〇〇二万九五〇〇円は、本件によって控訴人が被った損害というべきである。

2  土地調査費 五〇万円

証拠(<書証番号略>、原審証人雨宮、控訴人代表者)によれば、控訴人は、前同様の誤信に基づき、本件土地上にマンションを建てて利用するため本件土地を買い受け、右マンションを建てるために必要な公法上の規制の調査や日影図の作成を株式会社アワノ建築設計事務所に依頼し、その費用として、同年五月七日、同事務所に五〇万円を支払ったことが認められる。右認定事実によれば、右費用は控訴人が本件土地を取得することができなかったために生じた損害というべきである。

3  仲介手数料

証拠(<書証番号略>、原審証人雨宮、証人永見、控訴人代表者)によれば、控訴人は、同年二月一九日、本件土地売買の仲介をした倉田宏及び永見らに対し、本件土地売買の調査、企画及び手数料の名目で九〇〇万円を支払ったことが認められる。しかし、右調査及び企画料の内容は不明であるのみならず、仲介手数料(報酬)については、同人らは無登録で仲介業務をしていた者であり、その報酬請求権は取引通念上相当なものとして認められる根拠もない上、同人らには権利の瑕疵のある本件土地を仲介した責任が認められる。そうすると、控訴人は、右の報酬支払い義務を負ったといえるか自体疑問であるし、倉田及び永見らに対し、本件土地の所有権を取得することができなかったことにより生じた損害の賠償請求(少なくとも仲介手数料の返還の請求)をすることが可能であるというべきところ、右金員の請求や回収が不能であることの主張及び立証はないから、右支払金相当額を本件登記官の過失と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

4  過失相殺について

証拠(<書証番号略>、原審証人雨宮、証人永見、控訴人代表者)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 控訴人は、埼玉県川越市に本店を有する不動産の売買、仲介、建設請負工事等を業とする株式会社であり、埼玉県やその近郊で分譲住宅用地やマンション建設用地を探していたものであるところ、昭和六二年二月一二日、宅地建物取引業法による免許を受けずに不動産の仲介業務を倉田と共同して個人的に行っている永見から、同県熊谷市内にマンション建設に適した土地があるから購入を検討して欲しい、希望の売却価額は二億円であるという電話連絡を受けた。そして、永見から直ちに本件土地の登記簿謄本、公図及び案内図がファックスで控訴人のもとに送られてきたが、右登記簿謄本によれば、本件土地の現在の所有者は、「沼上平治」となっており、昭和六一年四月一五日売買を原因として、同月二一日に前所有者長島から沼上に所有権移転登記が経由されていた。また、本件土地には担保権が設定されていなかった。

(二) 控訴人の営業担当社員である雨宮孝行は、本件土地付近の不動産業者二社を選び、本件土地周辺の土地の価額を電話で問い合わせ、一坪当たり六〇万ないし八〇万円が相場であるとの回答を受けた。また、控訴人の代表者である横田庄平も、控訴人の関連会社である横田ハウス株式会社熊谷展示場の所長に対し、二億円の価額が適正であるかについて調査させた。そのうえで控訴人は、本件土地を取得することを決意した。なお、控訴人においては、本件のような金額の取引は年三件くらいであり、雨宮が取り扱った取引の中では金額的には大きな売買であったが、控訴人は、本件土地周辺の土地の基準価額や、本件土地に関する都市計画や公的制限の有無等については調べなかった。

(三) 横田及び雨宮は、同月一五日、控訴人の本社事務所で、本件土地の所有者で売主の沼上と称する者とその関係者の田中義雄と称する者、仲介者である永見及び倉田及び本件土地の売却の話を永見に持ち込んだ亡三苫某と会った。その際、控訴人は、実印、印鑑登録証明書及び住民票で沼上の身元の確認をした上、前記代金額で本件売買契約書に調印した。代金は、沼上の希望で現金で用意し、売主側で指定した本件登記所近くの司法書士の事務所において、同月一八日に移転登記手続と引換えに右代金を支払うこととなった。しかし、控訴人は、沼上の住所の確認はせず、自宅の電話番号も尋ねず、二億円が現金で必要な理由も聞かなかった。なお、沼上の身分の確認の一資料として、後日沼上の運転免許証のコピーもファックスで控訴人に送られてきたが、右印鑑登録証明書、住民票及び運転免許証はいずれも偽造されたものだった。

(四) 右取引に当たって、横田及び雨宮は、永見から、沼上は前所有者長島の妾の子で、農業を営むものであり、本件土地は長島から贈与を受けたものであるが、税金の問題があるので売買の形で取得したこと、沼上は、借金の返済のため本件土地を処分することとなったことなどの事情を聞いた。しかし、沼上の負債の内容や他の資産状況などの詳細は尋ねなかった。なお、横田は、長島が埼玉県内の有力銀行である埼玉銀行の頭取を長年勤めた人物であることを知っていた。

(五) 同月一八日、雨宮は、本件登記所で本件土地の登記簿を閲覧し、権利関係に変動がないことを確認した上、沼上が指定した荻野司法書士事務所に控訴人の佐々木総務部長とともに赴いた。雨宮は、同事務所において、荻野司法書士が用意した所有権移転登記のための必要書類に押印し、同司法書士は、直ちに本件登記所に赴いて登記申請手続を行い、受理証明書の交付を受けた後、同事務所に戻り、同証明書を雨宮に手渡した。右証明書を受領した雨宮は、取引金融機関の係員が持参した現金二億円をその場で沼上に交付した。なお、沼上側の取引金融機関の係員は来ていなかった。

(六) その後、控訴人及び仲介者らにおいて本件土地に所有関係を示す張り紙等をしたところ、本件土地の管理を長島から委ねられていた大谷某がこれに気付き、同年三月九日、永見や本件登記所などに問い合わせたことから本件不正行為が発覚した。その後控訴人が調べたところ、沼上という同姓同名の人物が熊谷市内にはいるが、本件の沼上と称する人物とは別人であり、沼上が示した住所地には、同人は実在しなかった。

右認定事実によれば、本件土地の売買は控訴人にとって規模の大きな取引である一方、控訴人は売主で所有者と称する沼上とは全く面識がなく、仲介者も、宅地建物取引業法による免許を受けていない個人にすぎず、十分に信頼をおくことができる者ではなかったものであるから、不動産取引の専門業者であり、登記に公信力がないことを当然に知っている控訴人としては、沼上の身元や本件土地の権利関係について、慎重かつ充分な調査をする必要性があったものというべきである。しかも、本件においては、沼上は農業をしていると言いながら、取得した本件土地を短期間で手放すものであり、また、二億円もの土地を手放さなければならないほどの借金があるといいながら、本件土地には全く担保権が設定されていないこと、更に、何らの説明もないまま二億円もの大金を現金で一時に支払わせるものであることなど、通常の取引からすれば不自然と思われる事情が認められたのであるから、控訴人としては、前所有者に権利関係を尋ねたり、沼上の住所に赴きその資産状況を調査するなどして、沼上の身元の確認及び権利関係の把握に一層努めるべきであったということができる。本件においては、前所有者長島の身元は控訴人にとって明確となっていたものであり、沼上の住所も熊谷市内であるから、前記調査は極めて容易というべきであり、しかも、本件売買の話が持ち込まれてからわずか七日間で代金全額の授受を済ませて売買をするほど取引を急がなければならない事情は全く窺えないところである。そうすると、本件においては、控訴人が必要な調査をしていれば、本件犯行は容易に発覚できたものと認められ、控訴人においてこれを怠ったことが、控訴人が本件被害を受けたことについての重大な原因となっているといわざるを得ず、控訴人においても本件損害の発生について過失があるというべきである。

そして、そもそも権利関係の把握は、取引当事者である控訴人が一次的には責任を負うものである上、本件においては、控訴人は不動産取引の専門業者であって、登記に公信力がないことを知っている立場にあり、かつ、売主の身元の確認や権利関係の調査は容易であったこと、他方、本件は極めて計画的かつ巧妙になされたものであったことが推認され、本件登記所の登記官にとっては、閲覧の際に本件登記簿の抜き取りを発見することは、不可能ではないにしても、控訴人の右注意義務の履行に比べれば、はるかに困難であったことなどの控訴人と被控訴人との過失を対比すると、登記官の過失の寄与により控訴人に生じたと認められる損害額から三割を減額するのが相当である。

したがって、前記被控訴人の寄与率及び右過失割合に従って算定すると、被控訴人が控訴人に対して賠償すべき金額は、四二一一万一一九五円となる。

5  弁護士費用 四二〇万円

本件事案の性質及び難易、本件訴訟の審理経過及び前記請求認容額等を総合考慮すると、登記官の前記閲覧監視義務違反と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、四二〇万円と定めるのが相当である。

第五以上の次第で、控訴人の本件損害賠償請求は、四六三一万一一九五円及びこれに対する昭和六二年九月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、控訴人の請求を全部棄却した原判決は失当であるから、これを変更して、右の限度で控訴人の請求を認容し、控訴人のその余の請求を棄却し、仮執行の宣言は相当でないから、これを付さないこととし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鬼頭季郎 裁判官渡邉等 裁判官柴田寛之)

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